豊臣秀吉・秀長兄弟と長浜市

豊臣秀吉が初めて城主となった地・長浜。この地で初めて築城を許された秀吉は、浅井氏を破った後、旧名「今浜」を「長浜」と改め、城下町の整備を進めました。

弟・秀長もまた、兄を支える忠実な側近として共に歩み、この地で豊臣秀吉・秀長兄弟の絆と手腕が育まれていきます。

約9年という短い在城期間でしたが、長浜のまちの礎を築いた存在として、今もなお「秀吉さん」と呼ばれ多くの住民に親しまれています。

400年以上の歴史を誇る「長浜曳山まつり」をはじめ、寺社や町並みなど、この時期に築かれた文化や人々の結びつきは、現代の長浜にも大切に受け継がれています。

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年表

時代区分 年号 西暦 出来事
木下藤吉郎時代 天文6 1537 秀吉、尾張国愛知郡中中村に生まれる
天文9 1540 秀長、尾張国愛知郡中中村に生まれる
天文23 1554 織田信長に仕える
永禄4 1561 浅野長勝の養女・ねねと結婚する
永禄8 1565 木下藤吉郎と名乗る
永禄10 1567 稲葉山攻めで軍功を上げる
永禄11 1568 信長、足利義昭を奉じて上洛する
元亀1 1570 姉川の戦いが始まる
元亀2 1571 比叡山焼き討ち
長浜城時代 天正1 1573

「木下」から「羽柴」に改姓する

小谷城総攻撃。落城

信長から湖北三郡を与えられ、小谷城主となる

長浜城築城開始

天正5 1577

中国計路のため、播磨へ赴任する

秀長、竹田城の城代となる

天正6 1578

有岡城主・荒木村重の謀反

黒田官兵衛、有岡城に幽閉される

天正7 1579 竹中半兵衛死去
天正9 1581 信長、長浜城経由で竹生島に参詣する
天正10 1582

本能寺の変

清洲会議

大坂城時代 天正11 1583 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破る。大坂城築城開始
天正12 1584 大坂城へ移る
天正13 1585

関白となる

秀長、郡山城主となる

秀長、大納言の官位を得て、大和大納言と称される

天正14 1586 朝廷より豊臣の姓を受ける
天正16 1588 刀狩令を出す
天正18 1590 秀長の病が悪化
天正19 1591

秀長、郡山城内で死去

秀次に関白を譲って太閤となる

文禄1 1592 朝鮮出兵
文禄2 1593 茶々、秀頼を産む
文禄4 1595 秀次を高野山で切腹させる
慶長3 1598 秀吉、伏見城で死去
木下藤吉郎時代
天文6
1537
秀吉、尾張国愛知郡中中村に生まれる
天文9
1540
秀長、尾張国愛知郡中中村に生まれる
天文23
1554
織田信長に仕える
永禄4
1561
浅野長勝の養女・ねねと結婚する
永禄8
1565
木下藤吉郎と名乗る
永禄10
1567
稲葉山攻めで軍功を上げる
永禄11
1568
信長、足利義昭を奉じて上洛する
元亀1
1570
姉川の戦いが始まる
元亀2
1571
比叡山焼き討ち
長浜城時代
天正1
1573

「木下」から「羽柴」に改姓する

小谷城総攻撃。落城

信長から湖北三郡を与えられ、小谷城主となる

長浜城築城開始

天正5
1577

中国計路のため、播磨へ赴任する

秀長、竹田城の城代となる

天正6
1578

有岡城主・荒木村重の謀反

黒田官兵衛、有岡城に幽閉される

天正7
1579
竹中半兵衛死去
天正9
1581
信長、長浜城経由で竹生島に参詣する
天正10
1582

本能寺の変

清洲会議

大坂城時代
天正11
1583
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破る。大坂城築城開始
天正12
1584
大坂城へ移る
天正13
1585

関白となる

秀長、郡山城主となる

秀長、大納言の官位を得て、大和大納言と称される

天正14
1586
朝廷より豊臣の姓を受ける
天正16
1588
刀狩令を出す
天正18
1590
秀長の病が悪化
天正19
1591

秀長、郡山城内で死去

秀次に関白を譲って太閤となる

文禄1
1592
朝鮮出兵
文禄2
1593
茶々、秀頼を産む
文禄4
1595
秀次を高野山で切腹させる
慶長3
1598
秀吉、伏見城で死去

人物相関図

豊臣秀吉・秀長の人物相関図

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秀吉・秀長の主な家臣

長浜ゆかりの豊臣秀吉 家臣団

… 長浜市出身の人物

  • 石田三成

    坂田郡石田村(長浜市石田町)出身

    長浜城主時代の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に才能を見出されて抜擢された。行政手腕に優れた名官僚として頭角を現し、のちに五奉行筆頭として豊臣政権の中枢を担う。内政や財政、外交など幅広い分野で実力を発揮し、秀吉の天下統一を支えた。

  • 田中吉政

    浅井郡(長浜市北東部)出身

    長浜城主時代の秀吉に仕えた実務派の武将。検地や財政、行政に優れ、秀長政権を支える要職を担った。秀吉のもとでは奉行職として手腕を発揮し、内政や城下整備に貢献。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後は筑後柳川藩主として大名に出世した。

  • 片桐且元

    浅井郡(長浜市北東部)出身

    長浜城主時代の秀吉に仕えた武将。賤ケ岳七本槍の一人。九州攻めや文禄の役に従軍し、豊臣家の政務を担う。豊臣秀頼の家老としても重責を果たした。

  • 脇坂安治

    浅井郡脇坂村(長浜市小谷丁野町)出身

    長浜城主時代の秀吉に仕え、賤ケ岳七本槍の一人として名を馳せた。文禄・慶長の役や関ケ原にも参戦。のちに伊予大洲藩主となる。

  • 増田長盛

    浅井郡益田郷(長浜市益田町)出身

    長浜城主時代の秀吉に仕えた政務の才人。各地の検地や伏見城普請に携わり、五奉行の一人として豊臣政権を支えた。関ケ原合戦では西軍に属し、その後改易された。

  • 宮部継潤

    浅井郡宮部村(長浜市宮部町)出身

    元は僧侶で、はじめ浅井氏に仕えるが、のちに秀吉の家臣となる。中国攻めで武功を挙げ、鳥取城を与えられる。晩年は秀吉の御出衆の一人となる。

  • 速水守久

    浅井郡(長浜市北東部)出身

    長浜城主時代の秀吉に仕えた古参の家臣。小牧長久手の戦いや小田原攻めに従軍、実直な働きで信頼を得た。関ケ原合戦の後、秀頼に仕え、大坂の陣で秀頼に殉じた。

  • 山内一豊

    尾張国黒田(一宮市木曽川町)出身

    長浜城主時代から秀吉に仕える。のちに三代目の長浜城主となる。その後、初代土佐藩主となる。

  • 小寺 (黒田) 孝高(黒田官兵衛)

    長浜城主時代から秀吉に仕える。軍事的才能に優れた参謀。

  • 竹中半兵衛

    長浜城主時代から秀吉に仕える。黒田官兵衛と並び称された軍師。

  • 加藤清正

    賤ケ岳七本槍の一人。のちに熊本城主となる。

  • 福島正則

    賤ケ岳七本槍の一人。

  • 平野長泰

    賤ケ岳七本槍の一人。

  • 加藤嘉明

    賤ケ岳七本槍の一人。

  • 糟屋武則

    賤ケ岳七本槍の一人。関ヶ原合戦では唯一西軍として参加。

  • 浅野長吉(長政)

    ねねの妹の婿養子。五奉行の一人。

  • 中川清秀

    摂津茨木城主。賤ケ岳合戦で、佐久間盛政の奇襲を受け討ち死にした。

豊臣秀長 家臣団

… 長浜市出身の人物

  • 小堀正次

    坂田郡小堀村(長浜市小堀町)出身

    長浜城主時代の秀吉に仕え、のちに秀長の家臣となり奉行筆頭として政務を担当。とくに検地に通じた人物として知られ、秀長の家老として活躍。小堀政一(遠州)の父としても知られる。

  • 上坂意信

    坂田郡上坂郷(長浜市西上坂町)出身

    坂田郡の有力な土豪。上坂氏の一族。秀長に仕え、秀長の但馬統治時代は奉行として活躍した。

  • 藤堂高虎

    近江国藤堂村(滋賀県犬上郡甲良町)出身

    築城の名手。秀長に仕えて躍進の礎を築く。
    浅井家の家臣として、姉川合戦で初陣を飾る。のちに伊勢の津藩初代藩主となる。

  • 村山久助

    上坂意信とともに検地・財政に携わった家臣。

  • 桜井左吉

    賤ケ岳合戦で一番槍を競う。

  • 桑山重晴

    和歌山城代として3万石を領する。

  • 青木一矩

    賤ケ岳の戦いや紀州攻めで活躍。

  • 横浜一庵

    近江国出身で大和郡山城下町を整備した町割奉行。

  • 羽田正親

    近江国上羽田村(八日市市上羽田町)出身の武将。

  • 多賀秀家(秀種)

    近江の国衆・多賀貞能の婿養子。

  • 井上大九郎

    小牧長久手の戦いに従軍。のちに加藤清正の家臣になる。

佐々木洋一「長浜城下町復元図」
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