琵琶湖のほとりに立つ、現在の長浜城。
その姿だけを見ると、堂々とそびえる天守が印象的ですが、じつはこの場所には、今も解き明かされていない「長浜城の謎」が残されています。
その舞台となるのが、長浜城のすぐそばに広がる琵琶湖です。
かつて琵琶湖岸に築かれた長浜城は、水運を巧みに利用した「水城」でした。
ところが現在、湖岸には「太閤井戸」と呼ばれる井戸跡が残され、その周辺では長浜城の石垣に関係すると考えられる遺構も確認されています。
なぜ、城の井戸が湖の中にあるのでしょうか。
そんな疑問から始まるのが、長浜城の「水没伝承」です。
長浜城は、なぜ琵琶湖のそばに築かれた?
長浜城の歴史を語るうえで欠かせない人物が、豊臣秀吉です。
秀吉が長浜に城を築き始めた天正2年(1574)頃、この地は「今浜」と呼ばれていました。
後に秀吉は今浜を「長浜」と改め、城を築くとともに城下町の整備を進めます。
こうして長浜は、秀吉にとって初めて本格的な城主としての歩みを刻んだ場所となりました。
長浜城の大きな特徴は、琵琶湖岸に築かれていたことです。
長浜城歴史博物館では、長浜城を「水城」と紹介しているように、琵琶湖に面した立地は、物資の輸送や人の往来など、水運を活用するうえで大きな役割を果たしたと考えられています。
そして、この城を拠点に秀吉は北近江で勢力を広げ、長浜城は賤ヶ岳合戦の際にも重要な拠点となり、秀吉の天下取りへとつながる歴史の舞台となっていきます。
【スポット①】まずは長浜城歴史博物館へ

長浜城の謎を追うなら、まず訪れたいのが長浜城歴史博物館です。
長浜城は元和元年(1615)に廃城となり、建物や石垣の多くは彦根城などへ移されたと伝えられています。その後、城跡は農地として利用されるなど、かつての城の姿は次第に失われていきました。
現在の天守閣は、昭和58年(1983)に再興されたものです。
館内では、湖北・長浜の歴史や文化、秀吉と長浜の関わりなどを紹介。3階の常設展示「秀吉と長浜」では、長浜城や秀吉にまつわる資料を見ることができます。
さらに、屋上の展望台からは琵琶湖を一望できます。
湖を眺めながら、かつてこの地に秀吉の城が築かれていたことに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
長浜城歴史博物館
https://nagahama-rekihaku.jp/home
滋賀県長浜市公園町10-10
【電話】0749-63-4611
【営業時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】年末年始
【入館料】大人410円、小・中学生200円
【アクセス】JR長浜駅から徒歩約5分、北陸自動車道長浜ICから車で約15分
【スポット②】豊公園を歩いて、本丸跡へ
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長浜城歴史博物館を訪れたら、続いて歩いてみたいのが豊公園(ほうこうえん)です。
豊公園は、かつて長浜城が築かれていた場所を中心に整備された歴史ある公園。春には桜が咲き誇り、四季折々の自然を楽しめる市民の憩いの場となっています。
園内には、現在の長浜城歴史博物館が建つ本丸跡をはじめ、豊臣秀吉像や太閤井戸跡など、長浜城ゆかりのスポットが点在しています。
今では穏やかな公園の風景が広がっていますが、ここはかつて秀吉が居城とした場所。
戦国時代の風景を想像しながら歩けば、何気ない公園の景色も、少し違って見えてくるはずです。
長浜城の「水没伝承」を追うなら、まずはこの場所から。現在の景色と、かつての長浜城の姿を重ねながら歩いてみましょう
豊公園
滋賀県長浜市公園町1325
【電話】0749-65-6541(長浜市都市計画課)
【アクセス】JR長浜駅から徒歩約5分/北陸自動車道長浜ICから車で約15分
【スポット③】秀吉像と出会う
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豊公園を歩いていると、ひときわ目を引くのが衣冠束帯姿の豊臣秀吉像です。
この像は昭和46年(1971)に、長浜市の発展の礎を築いた秀吉の遺徳をしのぶために寄贈されました。
長浜に城を築き、「今浜」を「長浜」と改め、城下町の整備を進めた秀吉。
ここ長浜は、秀吉が初めて本格的な城を築き、城主としての歩みを始めた、いわば出世の原点ともいえる場所です。
秀吉像を前にしたら、ぜひ長浜城が築かれた当時の風景にも思いを馳せてみてください。
琵琶湖を望むこの地から、のちに天下人へと駆け上がっていく秀吉の物語が始まったと考えると、一体の像からも、長浜の歴史がより身近に感じられるはずです。
豊臣秀吉像
滋賀県長浜市公園町(豊公園内)
【スポット④】本丸跡で、かつての城の大きさを想像する
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「長浜城 本丸跡」の石碑(豊公園/滋賀県長浜市公園町)
長浜城は元和元年(1615)に廃城となった後、建物や石垣の多くが彦根城などへ移築・転用されたと伝えられています。
そのため、安土城や彦根城のように当時の石垣が連なる姿は残っておらず、現在の豊公園を歩いても、戦国時代の長浜城をそのまま見ることはできません。
かつてこの場所には本丸や天守、御殿などが築かれ、秀吉が長浜を治めた時代には、城下町とともに長浜の中心となっていました。
現在、長浜城の本丸があった場所には長浜城歴史博物館が建ち、そのそばにある「長浜城 本丸跡」と刻まれた石碑が、ここがかつて長浜城の中心だったことを今に伝えています。
そして、長浜城を語るうえでもう一つ重要なのが、琵琶湖との近さです。
長浜城は琵琶湖岸に築かれた「水城」とも呼ばれており、湖を利用した水運を取り込むことで、長浜の町は発展していきました。
では、400年以上前の琵琶湖は、今と同じ場所にあったのでしょうか?
ここから、いよいよ長浜城にまつわる「水没伝承」の謎を追っていきましょう。
長浜城 本丸跡
滋賀県長浜市公園町(豊公園内)
【スポット⑤】太閤井戸の碑
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太閤像と長浜城の太閤井戸
豊公園を琵琶湖側へ進むと、湖岸にひっそりとたたずむ「太閤井戸」の石碑があります。
太閤井戸は、豊臣秀吉ゆかりの井戸として伝えられてきたもの。城下や寺社の近くなど各地に残る「太閤井戸」と同じように、かつては生活用水として人々に利用されていたと考えられています。
そして、この井戸跡こそ、長浜城の「水没伝承」を考えるうえで重要な手がかりです。
この井戸跡が見つかったのは、昭和14年(1939)。琵琶湖の渇水によって湖水が大きく減った際、湖岸から姿を現しました。
発見された井戸は、厚さ約3cmの木の板で囲まれていたとされます。その後、当時の福田寅吉町長によって保存のため周囲が石で囲まれ、「太閤井址」と刻まれた石碑が建立されました。
さらに昭和33年(1958)にも、別の井戸が現れたと伝えられています。
もし、これらが秀吉の時代に使われていた井戸跡だとすれば、かつての長浜城は、現在の湖岸よりもさらに琵琶湖側へ張り出した、湖と一体となった城だった可能性があるといわれています。
今では穏やかな琵琶湖の景色が広がる場所ですが、湖水が引いたときだけ姿を現した井戸の跡は、かつてこの場所にどんな城が築かれていたのかを、今も静かに語りかけています。
「なぜ、城の井戸がこんなところに?」
そんな疑問を抱きながら、ぜひ湖岸に残る石碑を探してみてください。
太閤井戸
滋賀県長浜市公園町(豊公園・長浜城跡南側の琵琶湖岸)
【アクセス】JR長浜駅から徒歩約10分/北陸自動車道長浜ICから車で約15分
【スポット⑥】長浜城石垣出土地を探せ

長浜城石垣出土地(豊公園)
豊公園周辺には、かつての長浜城の石垣が見つかった「長浜城石垣出土地」があります。
長浜市の歴史文化資産にも、長浜城跡や太閤井戸跡と並んで記録されている場所です。
長浜城は元和元年(1615)に廃城となった後、建物や石垣の多くが彦根城などへ運ばれ、再利用されたと伝えられています。
現在の彦根城には、長浜城から移されたと伝わる天秤櫓などが残っているほか、長浜市内の大通寺にも長浜城の遺構と伝えられる門があります。
しかし、すべての石垣が運び出されたわけではありません。
長浜城跡周辺には、石垣に使われていた石材や、その隙間を埋める「込石」などが残されており、かつてここに城が築かれていたことを伝えています。

現在は公園として整備され、城の姿を直接見ることはできません。
それでも、地面に残された石や発掘された遺構をたどっていけば、少しずつ長浜城の輪郭が見えてきます。
「城がない」のではなく、城の痕跡がさまざまな場所に残っているというのが、長浜城跡を歩く面白さの一つです。
【スポット⑦】石垣を見ながら、長浜城の姿を想像する
長浜城の姿を知るうえで、見逃せない手がかりがあります。
それが、2019年に長浜城跡で発見された、豊臣秀吉の時代につくられた可能性がある石垣です。
豊公園内の本丸跡を調査したところ、9個の石が並んだ石垣の一部が見つかりました。石列は東端で南へ折れ曲がり、石材は49〜80cmほど。
しかも、これまで想定されていた石垣の範囲から約53m東側で発見されました。
この発見から、長浜城の本丸は、これまで考えられていたよりも広かった可能性が浮かび上がっています。
石材の特徴などから、築造時期は1574〜1590年ごろと推定されます。
この時期に長浜城を治めていたのは秀吉、柴田勝豊、山内一豊。勝豊の在城期間が短く、一豊の時代に大規模な石垣を築くのは難しかったと考えられることから、秀吉の時代につくられた可能性が高いとされています。
秀吉がまだ羽柴秀吉と名乗っていた頃に築かれた長浜城。
その一部が400年以上の時を越えて地中から姿を現したことは、今も謎の多い長浜城の姿を知る貴重な手がかりとなっています。
長浜城の謎は、今も湖岸に残っている

長浜城をめぐる「水没伝承」。
太閤井戸や石垣の発見から見えてくるのは、かつての長浜城が琵琶湖と深く関わりながら築かれていたということです。
一方で、当時の城の全貌や、現在とは異なる湖岸の姿など、まだ分かっていないことも少なくありません。
だからこそ、長浜城跡を訪れたときには、天守を眺めるだけでなく、石碑や井戸、石垣など、一つひとつの痕跡にも目を向けてみてください。
「ここまでが本丸だったのだろうか?」
「この井戸が使われていた頃、琵琶湖はどこまで迫っていたのだろう?」
そんな想像を巡らせながら歩けば、今は穏やかな公園となった場所が、秀吉が築いた戦国の城へと姿を変えて見えてくるはずです。
長浜城の謎を解く鍵は、今も湖岸と地中に眠っています。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、秀吉・秀長兄弟の物語に興味を持った方も、ぜひ長浜を歩きながら、二人が生きた時代の風景を探してみてはいかがでしょうか。